【安達】デジタル庁はここ⼀年ぐらいで設⽴という話ですよね。そこに向けて今年いろいろな準備が動いていると思いますが、そういう時間が切迫している中でハンコ問題やマイナンバーカードと運転免許証の⼀体化などがいきなり動き出してしまったという感じで、ちょっと待てよと思ってしまうのです。
【森⽥】今のままだと、今までやろうとしたことを束ねるだけの話になりかねないと思います。経産省や総務省とか厚労省とかそれぞれのやり⽅をそのまま持ち込んでいって、それぞれの案を⼀本化してもよいのですが、そこに⾃分達の出先を作ってそのままやらせてくれって話になりかねない。
それを避けるためにはやっぱり⼀番基本的な部分でデジタル化は何のためにやるのか、どういう意味があるのかということについて、若⼲哲学的なことになるかもしれませんが、それをきちんと議論していくことが⼤事かなと思っています。そうでないと、例えば医療健康関係の場合、⽇本ではデータを集めるためにウェアラブルの機械を開発するとか、医療ロボットだとか、マンマシンインタフェースを改良するとかに終始してしまう。
本当の⽬的は、我々の PHR1のデータをずっと蓄積をして、そこから統計的にどういう薬がどういう⼈にどういう⾵に効いているのか、⼀定の⼿術をした⼈が何年後にどういう状態になっているのか、そういうことをしっかりとビッグデータで追跡して、最適な医療を探し出すということにあるはずです。情報収集も重要ですが、何のためにどういう情報を集めて、その集めた情報をどう使うかということについては、IT を専⾨にやっておられる⽅もまだ⼗分分かってないというか、発想の⽐重がだいぶ違うように思います。
【安達】コロナ禍の前後で⼀気にいろいろな考え⽅が先⾏しすぎてしまっていないかな?と思います。デジタル庁構想にしろ、少し動きが急激過ぎるような気がするのです。こう⾔うと、今までデジタル化を推進してきたのにと⾔われそうですが、やはりここは⼀度慎重に体制を考えてもらいたいのですね。
このままいくと、デジタル庁は森⽥先⽣が⾔われたように、経産省、総務省、厚労省などの関係組織からの出向者の寄り合い所帯のようになってしまうと危惧します。さらに、デジタルを専業にするそれぞれのベンダーからの出向者に仕組み構築を頼ることになります。そうなれば、程度の差こそあれ我⽥引⽔に近い形で、そのための仕組みを開発するための調達など様々な箱モノの仕様書がたくさんできて、そこに予算が投⼊された挙句、今までの電⼦政府のように何をやってきたのかが分からなくなってしまう。
【森⽥】そうですね。いま急速にデジタル化という話で盛り上がっているのは、実は教育の世界ですよね。学校が休校になってオンラインでやれということと、⼩中学校ではタブレットやパソコンを配って ICT 教育を⾏うといったことがちょうど重なったものですから、その教育⽤アプリの開発メーカーがどんどん参⼊してきて凄く盛り上がっているわけです。⾃分たちのソフトをタブレットにダウンロードして、⼦供たちにそれを勉強させろと⾔っているのですけども、私に⾔わせると、それは⼦供たちがどういう⾵にそのアプリを使ったかっていう反応を逆に吸い上げてデータにしなければ教育政策にあまり役に⽴たない。そこのところをどういう形でやるかについて、そこまでわかって議論をしている⼈ってまだ少ないですね。どの⼦にとってもすごく教育効果があるような、万能薬的なアプリの開発を⽬指しているようですが、万能薬は薬としてあまり効かない(笑)。個別最適化した、パーソナライズした対応がビッグデータとかデジタルの⼀番の強みだと思うのですが、なかなかそのような⽅向に⾏かない。そのような⽅向に⾏こうとするとすぐ個⼈情報保護の問題が出てくるものですから。
だからまあ霞が関や地⽅の⽅もそうですが、専⾨でやってらっしゃる⽅は分かっているのでしょうが、やはり IT の技術の中にいる⼈はいかにシステムを動かすかというだけで、それをやることで何が起こるのか、何を起こすべきかについての関⼼はあまりないのではないかなという気がします。
【安達】私がデジタル化で重要な組織だと思っているのは、例えば韓国の ETRI2のような最先端の専⾨家による組織です。ETRI などは、⼤学院も兼ねた研究機関で、IT を含めた⾼度な専⾨家が集まり、今の韓国の電⼦政府の⼤元も創っていますし、世界の先端をいくデジタル社会に向けた研究や⼈材の育成も⾏っています。
また、KISA3のようなセキュリティ、安全対策などを専⾨的に⾏っている組織も必要ですね。そうした組織がしっかりしていないと、本当の安⼼・安全な社会は望めないのではないかなと思うのです。きちんとした検討基盤の確⽴が、今⼀番重要じゃないかなと思うのです。
思いつきとまで⾔ってしまうと語弊がありますが、政府がハンコを廃⽌せよなどと号令をかけるのは結構ですが、そこにはベースになるしっかりした基盤のようなものの、技術だけでなく様々な分野からの知⾒の蓄積というものがあって、そうした体制の中で社会全体を⾒据えたデジタル社会をデザインするという仕組みが絶対に必要だと思うのです。エストニアもそれをやったと思うのです。その辺りが掛け声で動いてしまう今の政府の危うさを感じさせてしまうのです。
【森⽥】そうですね。だから、この研究部会でもそうですけど、デジタル社会の持つ意味とそのために必要なことについての議論を盛り上げていくことが重要だと思うのです。何⼈かの⽅はそういうことをちゃんと理解したうえで割とクールに⾒ておられますが、⼀⽅では、変に燃え上がっているところもあります。
私が感じるのは、⽇本の場合はハンコ無くせという意⾒と、⼀⽅ではハンコ残せという議論があって、なぜハンコがいけないかというと、感染リスクを冒して会社に⾏かないと押せないからと。この場合⽇本のベンダーが考えがちなのは、プリンターの中に組み込んでおいて外でも押せるような仕組みを作ったりする。押印ロボットというのもありましたけれど(笑)、そういう発想になってくるのではないかと。
住⺠票の写しを取れるシステムをコンビニに結構なコストをかけて導⼊しても、マイナンバーカードで使っている⼈をほとんど⾒たことがないのです。そもそも住⺠票の写しというもの⾃体をなくせと、デジタルガバメント分科会でも⾔っていることなのですが。
⽇本の場合、最も障害になっているのは、霞が関の幹部の⼈がデジタル化をあまり分かっていないことです。だから、「ハンコ無くすことなのね」とかそういう感じで、完全に意味合いが変わってしまっている。きちっと情報連携が出来れば、紙に打ち出して証明書をあっちからこっちへ持ってこなくてもうまく⾏くのですが、それもなかなか想像できないのです。ハンコは押したい⼈は押してもいいけど、押さなきゃいけないという義務付けだけはやめてくれと思う。絶対無くせと⾔っているわけではなくて、趣味で押したい⼈はいくらでも押しても構わないけれど、押してないからと⾔って書類が無効とかそういう話ではないだろうと思います。
【安達】情報発信源⾃体が分かっていなければマスメディアも分からないでしょうね。だから、正しく本質を突いた報道もなされないし、国⺠的な議論にも発展していかない。
現実には、電気やガス・⽔道のように⽣活に密接にかかわってくるにもかかわらず、デジタルを⾃分とは無縁のものだと考えている⽅も多いと思うのです。